南三陸ミシン工房

南三陸ミシン工房

「南三陸ミシン工房」という名前を皆様はご存知でしょうか?
 私たちの暮らす新居浜市から遠く離れた宮城県南三陸町は県北部の石巻市と気仙沼市との間に位置します。
 二〇一一年三月十一日十四時四十六分、南三陸町は東日本大震災で震度六弱に見舞われ町全体に津波が押し寄せました。死の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた、町職員・遠藤さんの悲しいエピソードが残る、赤い鉄骨の元防災庁舎はあまりにも有名です。町にあった五つの鉄道駅も大きかった公立病院もほとんどが流されてしまいました。更に、震災で地殻変動が起き、町の中心部の地面が海の方向へ約四、四mせりだし、七十五㎝も地表が下がりました。盛土をしてかさ上げをする予定となっていますが、満潮や大雨の時には町の中心が海水に浸ってしまいます。しかしながら、それ以上に深刻なのが復興の礎となる人の流出です。一方で、間もなく三年が過ぎようとしている今も被災された多くの方が仮設住宅で暮らしています。仮設住宅に一人でいると、今でも、津波で流された人や家のことを思い出してしまうそうです。
 「南三陸ミシン工房」との出会いは、発生後間もなく支援物資を持って仲間と現地に入ったときでした。当時は「歌津地区・石泉活性化センター」で活動を始めたばかりで、自立に向かって講習会を行っているところでした。「なぜ、ミシンなのか?」というと、避難所や仮設住宅に住む女性たちが「ミシンがあれば支援物資で頂いた服のサイズを直せるのに…」「子供や介護が必要なおばあさんがいて外に働きに行けません。仮設住宅の中で、ミシンの仕事ができたらいいな…」という声を反映して、ミシンを仕事にするための活動「ミシンでお仕事プロジェクト」がはじまりだったそうです。
 今では、ミシンを通じたコミュニティができ、お金を得るための手段としてではなく、毎日を前向きに生きていくための支えとして、たくさんのよろこびをもたらしてくれるものとなりました。かわいそうだからと買ってもらうのではなく、本当に必要とされて買ってもらうために、一人一人が努力をし、一針一針に心を込めた作品となっています。オリジナル作品 「おらほもあんだほもがんばっぺし? ?Bag」は、「私たちは私たちの場所で。あなたはあなたの場所で。それぞれの毎日を、それぞれの場所で、一緒に頑張っていけますように。」そんな思いが込められています。
 これまでに、活動に賛同して頂いた新居浜市の支援者とともに、工業用ミシンをはじめ多くの支援物資を届けました。皆様の心温まる支援の一つ一つが現地の方々に明日を生きる勇気を与え、復興に向かって一歩一歩力強く歩んでいる姿を現地で目の当たりにしてきました。今後も、この遠く離れた新居浜で、何が出来るのかを日々考え、さらなる復興に向けて支援を続けていきたいと思います。


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コメント

  1. 横山泰三 より:

    2020年オリンピックが東京に決まり、世の中うかれ調子になっていますが、
    3・11被災地復興に拍車をかけることを忘れないでほしいと願っています。

    世界に対して「日本の元気」を見せることは大事なことですが
    3・11の復興が後回しになるようでは本末転倒、
    日本の将来は闇だと思います。

    3・11の復興は重要なオリンピックの準備作業。
    プレゼンテーションを信じて
    IOCが「2020東京」を決定したのだから

    今度は
    被災地の人たちに大きな希望を持ってもらうために、
    政府の決意(約束)を具体化し、早く、直接に、示してほしいと思います。

    希望があって、人は生きる意欲が湧いてくる  と信じています。


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