古川たくやオフィシャルサイト

最新情報

南三陸ミシン工房

「南三陸ミシン工房」という名前を皆様はご存知でしょうか?
 私たちの暮らす新居浜市から遠く離れた宮城県南三陸町は県北部の石巻市と気仙沼市との間に位置します。
 二〇一一年三月十一日十四時四十六分、南三陸町は東日本大震災で震度六弱に見舞われ町全体に津波が押し寄せました。死の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた、町職員・遠藤さんの悲しいエピソードが残る、赤い鉄骨の元防災庁舎はあまりにも有名です。町にあった五つの鉄道駅も大きかった公立病院もほとんどが流されてしまいました。更に、震災で地殻変動が起き、町の中心部の地面が海の方向へ約四、四mせりだし、七十五㎝も地表が下がりました。盛土をしてかさ上げをする予定となっていますが、満潮や大雨の時には町の中心が海水に浸ってしまいます。しかしながら、それ以上に深刻なのが復興の礎となる人の流出です。一方で、間もなく三年が過ぎようとしている今も被災された多くの方が仮設住宅で暮らしています。仮設住宅に一人でいると、今でも、津波で流された人や家のことを思い出してしまうそうです。
 「南三陸ミシン工房」との出会いは、発生後間もなく支援物資を持って仲間と現地に入ったときでした。当時は「歌津地区・石泉活性化センター」で活動を始めたばかりで、自立に向かって講習会を行っているところでした。「なぜ、ミシンなのか?」というと、避難所や仮設住宅に住む女性たちが「ミシンがあれば支援物資で頂いた服のサイズを直せるのに…」「子供や介護が必要なおばあさんがいて外に働きに行けません。仮設住宅の中で、ミシンの仕事ができたらいいな…」という声を反映して、ミシンを仕事にするための活動「ミシンでお仕事プロジェクト」がはじまりだったそうです。
 今では、ミシンを通じたコミュニティができ、お金を得るための手段としてではなく、毎日を前向きに生きていくための支えとして、たくさんのよろこびをもたらしてくれるものとなりました。かわいそうだからと買ってもらうのではなく、本当に必要とされて買ってもらうために、一人一人が努力をし、一針一針に心を込めた作品となっています。オリジナル作品 「おらほもあんだほもがんばっぺし? ?Bag」は、「私たちは私たちの場所で。あなたはあなたの場所で。それぞれの毎日を、それぞれの場所で、一緒に頑張っていけますように。」そんな思いが込められています。
 これまでに、活動に賛同して頂いた新居浜市の支援者とともに、工業用ミシンをはじめ多くの支援物資を届けました。皆様の心温まる支援の一つ一つが現地の方々に明日を生きる勇気を与え、復興に向かって一歩一歩力強く歩んでいる姿を現地で目の当たりにしてきました。今後も、この遠く離れた新居浜で、何が出来るのかを日々考え、さらなる復興に向けて支援を続けていきたいと思います。


なるほど・・・

先日の日経新聞、大機小機によると経済学は専門性の高さとともに僕たちの暮らしに密接していることから、だれしもがその事について様々な発言できるという趣旨のものでした。それは医学にも言えることではありますが医師の診断に対して発言する人は少ないと・・・そして、最後のくだり。まさに、2大政党制を掲げて政権交代を現実のものとした民主党の「政治主導」や現在の安倍総理のもと、大盤振る舞いしている経済政策「アベノミクス」ではないかと思ってしまいます。大胆な金融緩和に向けて日銀総裁人事への検討が始まっていますが日銀の独立性をどのように考えているのかは不明です。確かに期待から為替、株価等も好転しているがはたしてこのまま景気が回復傾向を持続でき、なおかつ国際社会から信任される財政規律を整えていけるかは「アベノミクス」がベストシナリオを描かなければならないと感じています。参議院選挙で前回退陣に追い込まれた総理にとって目前に迫っている次の参議院選挙への対応は最大限配慮しているのは理解できるがあんまり返すあてのない借金を作るのは、これからの責任世代として控えてほしいと願います。

「経済学の社会的認知度」1月16日付日経新聞

 経済学は数学や物理学と同じく、専門性の高い学問である。と同時に、生活と密着した身近さも併せ持つ。身近さゆえに、経済現象の理論的説明に対し、畑違いの人が「理屈ではそうでも現実は違う」と反論する場面を見かけることがある。

 だが、200年以上かけて築いてきた経済理論の結論を、単なる日常感覚だけで反論することには無理がある。なのに、専門的な経済理論を熟知せず、個人的経験をもとに専門家として発言する場合がある。例えば「日本企業が強いから経常収支が黒字になる」と言われるが、これは「動学的国際マクロ理論」と呼ばれる専門的な理論に基づけば、間違いであるとの結論に至る。

 経済学者の間でも、同じ経済現象について意見が対立することがある。景気対策もしかりだ。その時、専門家とそうでない者との違いは、明確な前提のもとで数学的、論理的に経済モデルを構築しているか、単に感覚で述べているかで判断がつく。専門家同士でも前提が違えば、結論が異なるのは当然で、その場合、どちらの前提が正しいかで決着がつく。

 理系の学問ならば、こういうことはまず起こらない。例えば物理学では、どんなにもっともらしくても、基本となるニュートン力学や量子力学を無視した議論は相手にされない。他方、いかに奇抜で驚くような結論でも、それが専門家の弁ならば「理論ではそうだが現実は違う」などと反論されることはないだろう。

 これは経済学の水準が低いというよりも、社会的認知度が、物理学でいうガリレオ以前の状態にあるからではなかろうか。ガリレオは正しいことを言ったのに、物理学の認知度が低いために、神の教えに背くと言われ、投獄された。

 専門性が高く、しかも身近であるという点では、医学は経済学に近い。しかし、医学は経済学よりも専門性が認知されており、医師の見立てに自分の経験では違うなどと反論する人はあまり見かけない。心臓外科医が専門外の眼や耳の病の治療法に口出しすることも原則ない。通念がまかり通る医療は成立しない。

 正しい経済政策を行うことは国民生活に密着する。国民の間で専門性に対する認知が低く、政治的思惑や一般通念ばかりに左右されていれば、結局損をするのは国民自身だ。

(魔笛)


ご挨拶

皆様の温かいご支援の下、新居浜選挙区から県議会へと送りだして頂きその使命と責任、そして如何に負託にお応えすべきかを自問しながら一年余りを過ぎました。

 私は常に、新居浜市に生まれ育ったことを誇りに感じています。それは取りも直さず日本における産業近代化の礎となった別子銅山の存在であり、これを核とした経済の集積、先人に築き上げられてきた文化の歴史を感じるからです。

 市議会議員として市の発展に尽力した祖父の存在、それを受け継ぐべき立場にあったものの志半ばで倒れた父の遺志、思いがけず、その遺された志を受け継ぐが如く私の人生も政治の道を歩むこととなりました。ここまで来ることが出来たのは教えを賜りました人との出会いがあればこそ今の自分があるのだと深く感謝を致しています。

初陣となりました新居浜市議会議員選挙では生涯忘れる事の出来ない得票を頂き、初めて登壇した一般質問の際の感動は今も深く胸に刻まれています。また大いなる挑戦となった県議会議員選挙は厳しい状況下にありながらも当選の栄を頂き、政治家としてふるさと新居浜市の発展、市民の福祉向上のため生きる私の人生を決定的なものにして頂きました。

県議会の中では、尊敬する先輩諸氏のご指導のもと自由民主党の仲間入りをさせて頂き若輩者でありながらも一般質問の機会を賜り、十分ではありませんがその責を担うことが出来ました。

政治活動を続ける中で、去年3月11日に発生した東日本大震災は、私とっても日本全体にとっても衝撃的なものでした。二万人に及ぼうとする死者、行方不明者。また、30万人を超える人々がふるさとを離れなければならない現状。私も被災地支援の中で厳しい状況下にあっても、なお希望を失うことなく復興を務める人々の生き様を眼に焼き付けて来ました。人間の持つ英知、技術をはるかに超える自然の猛威。畏怖すべき自然に対する人間の過信を感じたのは私一人ではないと考えます。責任・原因のない被災者の方々の惨状に対して政治が出来たことを考えると東日本大震災は政治に関与する私自身を厳しく問い直すものでありましたし、併せて使命感の喚起ともなりました。

早晩に起こりうる南海・東南海地震を想定すると東日本大震災は私たち自身が抱える問題でもあります。国、県、市町、更に人間が如何に対応し被害を最小限に留めるかは東北での大震災を我が事と捉え政治の果たすべき役割を考えなくてはなりません。

国の現状は内憂外患の言葉どおり、政権交代に期待した多くの人々を裏切り、混迷する国政は政治への信頼を大きく失墜させていることは否めない事実であり、増大する社会保障関係経費をはじめとする財政問題への対応等、将来世代の犠牲の上に成り立っている現状は多くの国民が夢や希望を語れるものではありません。

このような閉塞感の漂う現状の中、如何にして活路を切り拓き、未来への希望と政治への信頼を取り戻すかは、現在の日本における緊急にして最重要の課題であります。

世情を反映する世論調査の結果は、与野党を問わず厳しい結果を表わしています。謙虚に冷静に、この結果を受け止めつつ日本の確たる展望を指し示し、国民の生活に軸足を置いた政治、政策の実現こそが重要であると考えます。

そのような中で国民が求めているもの、それは政治への清新なる「風」であると考えます。既成概念に捉われるのではなく、新たな時代に柔軟に対応する魅力ある政治の実現が今の窮状から脱却する途ではないかとも考えます。

21世紀は地方の時代と言われ、地方分権の確立を目指す中で、三位一体改革の名の下に大きな犠牲を被ってきたのは地方自治体であり、市民生活であることを考える時、慣習やしがらみを排し、併せて国際的にも通用しうる政治の枠組みを作り上げることがまずは政治の出発点であると考えます。

維新八策を政治指標とした地域政党である維新の会が発足をしました。このことが日本政治に風穴を空けようとする清新な「風」となるのではないかと強く感じています。崇高な精神と言うのではなく、その源となった計り知れないエネルギーと大胆な行動力に共感し、共に歩むことにより新たな日本、地域の創造に繋がるものであると信じ、地方においてもその一役を担い、地域主権を確立したいとの一念の下、今回自由民主党を離党する決断を致しました。このことは決して長年、仲間として大切にして頂いた党を批判するものではなく、これからの政治が果たすべき遠大なる使命と役割の下で共に進むべき途があるとも信じています。

「愛の国、愛顔あふれる愛媛県」の実現を目指し、様々な政策を実行されている中村知事が描く「愛媛県」の背景には国政に参画し、県都松山の市長としての実績、卓抜した先見性と洞察力、政治家として築き上げられた人脈に裏打ちされるものであり、まさに中村知事が政治、行政に携わってきた哲学を随所に感じ、政治信条にも共感、共鳴して参りました。県と市町が一体となって行う地域主権の実現、自主性、自立性の確立の中に愛媛県、ふるさと新居浜の繁栄、市民の幸せの実現があるとも考えます。

私にとっての新たな途として「愛媛維新の会」での政治活動は重大な決断ですが皆さま方と共に、地方主権の確立を目指し、ふるさと愛媛の限りない発展の為に誤りなき途を歩んでいきたいと考えています。どうか引き続きのご支援、また、ご叱声を賜りますようお願い申し上げます。

平成24年10月吉日

愛媛県議会議員 古川拓哉


自由民主党離党に関して

 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが本日、25日付の自由民主党離党届を清家幹事長に提出してきました。事務手続き上、議会事務局の方にご迷惑をおかけしないような日程と言う事で25日付けという事になりました。

 大学を卒業してから議員秘書、市議会議員、県議会議員と長年お世話になった自民党に対して、これからお返しが出来るようになった中でのこのような決断は私自身大変申し訳ない気持ちです。関係者にはこのような形での離党に対する謝罪とこれまで様々な形でのご助力に感謝を申し上げたいと思います。

 今回自民党から離れることに関しては決して自民党を否定するものではなく、かといって民主党が良いという事でもなく新たな選択肢の必要性を感じている中で地方から国に向けて声を上げていけることが出来る組織作りに関わりたいという思いからの行動です。

 皆さんもご存じのとおり東京一極集中は相変わらず続いています。愛媛のことは愛媛で考え、新居浜のことは新居浜で考えることが当たり前のはずですが、現状では与えられたメニューの中から選ばざるを得ません。仮に自ら考えたところでそれを実現するためにはかなりのハードルを越えて行かなければなりません。右肩上がりの発展をし、全国津々浦々を画一的に発展させてきたこれまでの日本であれば良かったのかもしれませんが、成熟した社会において地方が個性を持ち様々な独自の取り組みを行わなければこれ以上の発展は望めないのが現状です。まして、世界一の少子高齢化と財政赤字を抱えていることを考えると改革は急務です。

 二大政党制が掲げられてきましたが日本の風土にはあまりなじまず、今では消去法による選択を取られている方も多いように感じています。新たな第3の選択肢を作ることがまた、政治の活性化にもつながると信じています。

 国においても地元新居浜市においても内憂外患の言葉通り私たちにとって大変厳しい状況が続いています。この状況を打開するためにも誤りなき途をしっかりと踏みしめていきたいと思っています。

 皆さまには何卒、意のあるところをおくみ頂きこれまでと変わらず叱咤激励を賜りますよう宜しくお願い致します。


タグ

瓦礫の中のピアノ教室

私たちの心に深く刻み込まれた東日本大震災の被災地からこの夏、大切な友達がホームステイに来てくれました。大森ひなこちゃんとお母さんです。出会いは私が東北に復興支援に行った際に、まちを元気にしようと取り組まれた南三陸町の「南三陸さんさん商店街」を訪れた時のことです。遠藤水華里音楽教室の一員としてピアノのミニコンサートで素晴らしい曲を披露してくれたのがひなこちゃんでした。
 巨大地震と大津波で大切なものを奪われる被害にあった人は数えきれず、残念ながら遠藤音楽教室も例外ではありませんでした。先生は自宅も教室も津波に流され、教え子の一人も行方が分からなくなり、震災のショックでピアノに向かっても以前のように指が動かない状態が続いていたそうです。誰もがこれからの未来を描けない中で、ピアノを弾くことが出来ない先生の教室に大好きだったピアノをもう一度弾きたいと、一人、二人と子どもたちが集まりはじめ、生徒の自宅の一部を音楽教室として再開しました。
 また、大森さん自身も障害者福祉施設で働いていて、発災時は勤務先で、不安になってしまうとトイレに駆け込んでしまう利用者の子どもと、水圧で閉じ込められたトイレの中で天井に顔が付く寸前まで浸水してしまい、死の覚悟を決めた中で九死に一生を得たという話しをしてくれました。
 遠い地からの愛媛来県、夜は四国中央市でコンサートに出演するとのことで我が家の子どもたちと首を長くして待っていました。ひなこちゃんをはじめとする教室の生徒たちは、コンサートで見事な演奏を披露してくれるとともに、悲しみを乗り越え、復興に向けて元気に頑張っている姿を会場に駆け付けたみんなに見せてくれました。また、三島高校書道部からビデオメッセージとともに「とどけ未来への光」とした熱い思いが伝わってくる書道パフォーマンスも披露されました。
 「瓦礫の中のピアノ教室」のタイトル通り、まだまだ被災地での復興支援は進んでいません。瓦礫の処理も進まず、子どもたちの目の前に山積みにされています。しかしながら、復興をキーワードに被災地とそれを支援する地域との間に深い絆や固い信頼関係が生まれました。新居浜市内でもすでに何度も被災地の支援に向かった方々もいます。また、現地には行けないけれど新居浜から自分たちが出来る支援を続けている方々もいます。今も皆さんのまごころが日々、被災地に届いています。
 今回来県した音楽教室をはじめとする皆さんは「次は復興を果たして、報告を兼ねて愛媛に遊びに来たい。」と言ってくれました。復興への足取りはまだまだ道半ばです。これまでにできた絆を育みながら、東北三県がしっかりとした復興を成し遂げるまで、ひなこちゃんが笑顔でピアノを弾ける日が来るまで、皆さんとともに惜しみない支援を続けていきたいと思います。

三島高校書道部の作品です。


ロンドンオリンピック

朝夕が涼しくなってきましたが、皆さまは如何お過ごしでしょうか?僕は夏の疲れなのか?油断してしまったのか?風邪をひいてしまい、調子が上がらない毎日を過ごしています。

大好きな夏が終わると新居浜市は祭りに向かって町が装いを変えます。また、祭りが終わったと思えば、新居浜市長選やお隣の西条市長選、四国中央市も市議会選挙があり、場合によっては解散総選挙(ないと思いますが・・・希望も込めて。)そして、年末に突入とこれから年が変わるまで駆け足で過ぎてしまいそうです。

ふと、この夏のロンドンオリンピック、パラリンピックを振り返ってみると「やっぱりスポーツっていいな~」と思う事がたくさんありました。特に、その道を極めた人たちの重みのある言葉には何度もしびれさせられました。

例えば、ボクシング・ミドル級の金メダリスト、村田諒太選手の「これ(金メダル)が僕の価値ではないんです。これからの人生が僕の価値だと思うので、恥じないように生きていくだけです。」なんて言葉はだれもが言える言葉ではありません。今大会の一番心に残るシーンだと思っていました。

そして、「1度引退して復帰した後にこういう結果を得られたことをどう思っていますか?」という質問にも、「もちろん、すべてのことは今につながっていて、それぞれが1つのことではないと思います。1度引退したこともプラスに働いたと思います。」と答えていますが私自身胸に刻まなければならない言葉として受け止めました。

そして何よりも心に残ったのは、パラリンピックで100メートル背泳ぎ(視覚障害)で金メダルを取った全盲の秋山里奈選手の言葉です。

村田選手同様、彼女もまた一度はあきらめたオリンピックでの金メダルの目標を8年越しで掴みとりました。ゴール後に何度もプールで跳びはね、右手を高らかと突き上げている場面は今も目に焼き付いています。「諦めないでよかった~」と言う言葉を聞いた時、ジムでエアロバイクをこいでいたのですが目頭が熱くなりました。

現代の日本は多くの人が思っている以上に厳しい現実に直面しています。ここ数年だけをとらえても大きく様変わりしたのではないでしょうか?多くの人がたくさんの想いを諦めているように感じますし、時には生きることすら諦めざるを得ない現実があります。

僕は生きる力がなくなってしまう社会とは、多くの人が夢や希望が語ることが出来なくなる時だと思っています。そのことを考える時、やはり政治が担っているものは大きいと考えています。停滞する国と地方に活力を取り戻すには政治が大きな一歩を踏み出す決断をする時です。

誰もが「諦めないでよかった。」と言える社会の実現に向けてしっかりとした足取りで進んでいかなければなりません。


向き合うこと

 こんばんは、古川みおです。8月も最後、夜や早朝は涼しさを感じる日も出て来ましたね。こんな時期は夏風邪に注意です。我が家では幼稚園に通う息子の幼稚園がはじまり、忘れかけていた朝の戦争が再びやってきました。長男は8月に4歳になり、幼稚園でお誕生日会をしてもらいました。誕生月の子たちが壇上に上がり、お題にのっとり発表する・・・という形式のお誕生日会。年少の長男は初めての経験です。音楽会で大泣きだった息子・・・不安そうに制服の裾をつかみ、うつむく息子に見ている私もドキドキハラハラでした。いよいよ息子の順番、『この夏楽しかったことは?』とのお題に彼はちいさーな声で「ふるかわたくみです。4さいになりました。たのしかったことは市民プールにいったことです。」とゆっくり細々と答えたのでした。もうね、感無量です。この際、この夏市民プールには行ってないよ、だとか海も水族館も動物園も行ったよね!なんて突っ込みはなしです!!舞台に立ったら必ず泣いていた息子が泣かずにしゃべった!!これで十分。少し強くなったね!

 さて、前置きが長くなりましたが、表題の「向き合うこと」ですが今回考えてみたいのは「うつ病」についてです。近年、うつ病患者は右肩上がりと言われていますね。うつ病への認知が高まったということもありますが、人災、天災、人間関係の希薄化や経済危機等々誰がいつ心を病んでもおかしくないこの頃。日本ではうつ病に関してはまだまだ発展途上。現に、精神科、心療内科等と聞くと人には言えない・・・と思う人が多いことでしょう。心と向き合うことに関しては欧米は進んでおり、体の調子が悪ければ医者に見せると同じように心の調子が悪い時はカウンセリングという意識が日本より高いですね。うつ病の認知度が上がった次の段階としてうつ病を理解する時期にきていると思います。そんな中、日経新聞でうつ病に関する記事を読みました。

FunCanという交流サイトではうつ病患者がネット上で交流をはかり、互いに励まし、また孤独感を軽減させることで症状の改善、回復、防止につながっているとのこと。一昔前、怠け病だそんなことでどうする!と言わんばかりの風潮があったせいかうつ病を公言することにためらいを感じる人も多いと思います。また、うつ病ではない人にうつ病を詳しく理解する・・・のも難しいのも事実です。症状も多岐にわたる上に何をどうしていいのか、何をしてはいけないのかが周知されていないために力になれない・・というケースも多いと思います。同じ病をもつ者同士が、FunCan 訳通り楽しめるよ!と前向きな気持ちになれるそうです。さらに有料会員になると臨床心理士や専門家のアドバイスを受けることもできるとのこと。とかくネットの暗い部分がクローズアップされがちですが、ネットだからできるサービスをうまく活用したいものですね。病院にはなかなかかかる時間がない方、やはり周囲の目が気になってなかなか病院は敷居が高いと感じる方にも取り組みやすいですね。

 不勉強な私が考えを述べるには不適切なこともあろうと思いますが、つぶやきとして見て頂ければ幸いです。心、疲れてませんか?誰かに話すだけでもきっと心の重荷が取れると思いますよ。自分の心と向き合うこと、精神の健康に気をくばること。とても大切ですね。

 それではおやすみなさい。


タグ

宮城県石巻市視察

宮城県石巻市に県議会で視察に行っていました。

久しぶりの石巻市の来訪ということで、どれほどの目に見える変化があるのかを期待していったのですが、まだまだ復興は道半ばとった感じです。確かに以前よりはがれきの処理も進んでいましたがそれでもこの一年半という歳月を考えると遅すぎると感じますし、処理した後の本格的な復興をどう仕上げているのかのビジョンが見えてきていないように思いました。関係者から話を聞くとどうも全体としてのかじ取りがうまくいっていないそうです。未だに必要とされているモノや人材のバランスがちぐはぐで強力に前に向かって進んでいる状況でもないそうです。

視察先のHANA荘では外資系のロレアルが出資をし、JEN石巻事務所の方々が地域の方と一緒にコミュニティカフェを運営しているとのことでした。すぐ隣にある公園が最近整備が整ったとのことですが、「県と市の土地を使っているために公園利用の為の環境整備にかなり時間を費やされた」と地元自治会長さんが言っていました。ちなみにそこにある遊具も米国が寄付をしてくれたそうです。

続いて、牡鹿半島の狐崎でカキ養殖業の方々と意見交換をして日程を終了しました。

今でもHANA荘、カキ養殖業関係者のところにボランティアスタッフが全国から駆けつけてくれるそうです。現地ではハード面の整備はこれからですが、ソフト面のつながりはしっかりと育まれています。また、海外からの支援もかなりあることも知りました。民間と公共の復興へ対するスピード感の違い、そして、違いがあるからこそ民間にお任せするところははっきりとしていくことが成果につながることを確認した視察となりました。

HANA荘の隣に建設された公園の記念碑

今後のめどが立たない小学校の前で野球の練習をする子どもたち

山積みにされた処理待ちの瓦礫


トライアスロン中島大会

 こんばんは、古川みおです。残暑厳しい日が続きますがいかがお過ごしですか?子どもをもつご両親!夏休みもラストスパート!!朝ごはん→洗濯、掃除、宿題させる→昼ご飯→なんだかんだと子どものお世話→夕ご飯  ご飯ばかり作ってるような・・・。夏休み前は恐怖に慄いた夏休みも終わるとなれば早かったなぁと感じますね。

 さて、話がずれましたので戻します。8月19日、夏恒例の(といっても2回目の出場、昨年は予選もれ)トライアスロン中島大会に古川が出場しました。父親ほぼ不在といっても過言ではない我が家の唯一の家族行事ということで家族総出で中島へ。子どもたちも海!海!と大はしゃぎです。

フェリーにて。なぜかおちゃらけ顔しかしてくれない長男、長女

中島には大会前日に入り、少しだけ海で遊び、夜は前夜祭。大会当日は朝から準備→大会→少しだけ遊ぶ→帰る と決してゆっくりできるわけではありませんが夏のいい思い出になったと思います。

怖くて海に入れずうつむく次男

前夜祭にて。鉄人レースの大ベテランの男性お二方と。

←スタート直前。集結するアイアンマン

       

海で死闘をつくす選手たち

長女の名誉のため、おちゃらけてない写真も・・・。

ぼやけてますがゴール直前の古川。

と、今年も中島を満喫してきました!!島全土での協力、応援、関係者の皆さんの支えあっての大会。ありがたいです。トライアスロンは個人競技ですが、間違いなくスポーツは心をつなぐと体感できる競技だと感じます。ゴール後のアイアンマン達の笑顔、最高でした。


タグ

自民党政調部会開催中

本日は自民党政調部会2日目です。

ものづくりをはじめとする経済の分野は新居浜という地域性もあり注目をしているところですが。経済労働部より「県内ものづくり企業の販路開拓支援について」の報告がありました。

過去、本会議でも質問させて頂きましたが「すご技データベース」の成果としてホームページアクセス数が10か月で17万アクセス超(23.9.30~24.7.31)、商談会等マッチング回数が16回開催、のべ114社が参加(23.11~24.7)。トップセールスが展示商談会、個別商談会等実績として成約済み30件、約18,000千円、商談中44件と短期間でしっかりと結果を出しています。

また、「四国からアジアへ!」ということで四国4県連携による海外販路開拓事業も始まります。

よく、行政は民間に対して周回遅れだということを指摘されますが、まずまずのスタートだと思います。一つの成功事例が出来ればノウハウも出来てきます。それらの経験を活かしてこれからもスピード感をもって対応してくれるとのことでしたから期待して、時には意見していきたいと思います。